祇園祭/前祭・芦刈山

  • 2019.08.15 Thursday
  • 15:43

 

貧しさの為に別れ別れになった夫婦が再会し、幸福に暮らした謡曲<芦刈>を題材にした山。

そのことから、授与されるお守りは縁結び・夫婦和合・再縁なので大人気。

 

網代がむき出しですが、これにご神体衣装を着つけていくわけですね。

 

芦刈山は舁(かき)山。元来は担でいたものが、現在は全ての山に車輪付き。

胴組(やぐら)上に舞台を作り松を立て、趣向を凝らした人形を飾ります

 

左端=尾形光琳作<燕子花の図> 右端=山口華楊作<鶴図>

 

 

中央の小袖「綾地締切蝶牡丹片見替小袖」は、桃山時代製作の重文。

一説には織田信長拝領したものだとか。ともかく山鉾一古い衣装であることは確か。

 

ところで。

芦刈山町の染物問屋に生まれたのが、梅原龍三郎。

でも梅原画伯の原画を用いている懸装品は、お隣の油天神山。なんでかなあ〜?

 

                  京鍾馗王

 

「我は都の鍾馗界を収める王である。頭が高い」・・・というような貫禄。

 

鉾町は鍾馗さんが多い地域。鍾馗さんに惹かれ始めた頃は、この地に通いつめてました。

 

               金箔の剣

 

京都以外は、鍾馗さんがどんどん消滅していくのに、京都は増えています。

本来の魔除け、というよりはおしゃれ的な感覚に変わってきているようやけれど、

それでも、鍾馗さんを上げる、という習俗が伝えられているのが嬉しい!

 

     獅子が印象深い前懸は、山口華楊作<凝視>

 

御神体背後の松の梢にかかる三日月は、秋の薄暮の情景とともに、

妻と離れ離れになった、芦刈の寂しい心象も表現しています。

 

* 山口華楊(1899~1984)は,京都生まれの友禅染色家。見送り<鶴図>も彼の作品

 

ご神体の頭は、運慶より七代目の康運作(1537年) 巡行には江戸期のレプリカを使用。

康運は、橋弁慶山のご神体も製作。

 

摂津国に住む貧乏夫婦。なので妻は都に出稼ぎし、

公家の乳母になって余裕もできたので家に戻ってみると、

夫は落ちぶれ、芦を刈って糊口をしのいでいた。結局再縁するわけやけど〜

嫁さんに逃げられてしまった男は困り果て、でも嫁さんはしっかりと生きている、ということで、

かめりん的解釈では、女は強いということですね〜。

 

          胴懸=尾形光琳作<燕子花図>

 

                荷担い茶屋

 

江戸期、多くの山鉾では巡行時にはお茶を点て、それを振舞う習慣があったようです。

芦刈山では2011年、町内の土蔵より荷担茶屋が発見され、修理を経て3年後には巡行に参加。

なお後ろはお供車。

 

 

芦刈・・・君なくて芦刈りけむと思ふにも いとど難波の浦も住みうき

妻 ・・・あしからじとてこそ人の別れけめ なにか難波の浦も住みうき 

 

               <花街と祇園祭>

 

                 2016年

    鉾町代表者に御神酒の接待するお茶屋三人娘

                 2017年

 

祇園の舞妓・芸妓の始まりは、八坂神社の門前で参拝客の接待をしたことが始まり。

なので、祇園祭は彼女たちに関係した習俗が多く伝わっています。

最も盛大なのは、7月24日の後祭山鉾巡行の後に行われる花傘巡行への参加と共に、

八坂神社で雀踊り、小町踊りなど奉納舞をします。

その花傘巡行と芸の上達を願い、

7月初旬には、京舞井上流家元・八千代を中心とする1000名のみやび会員たち(つまり舞芸妓)が、

八坂神社に参拝するお千度があります。

そして無言詣。

祇園祭期間中は、素戔嗚尊らの御霊は御旅所へ安置されるのですが、

願い事を叶えるためには、

四条大橋からまで御旅所までは知人に会っても口を聞いてはダメ。

なので、真夜中にお参りするようになったとか〜

しかし、その風習も殆ど廃れている現在。

だってSNSで情報を曝し合う時代に、秘守するなんて、無理やもんねえ〜

そして。

完全に断絶してしまったのが祇園ねりもの

 

 

舞妓の簪は、祇園祭にのみさす涼しげなもの。

髪型は、左が新人舞妓が結うおふく。右が祇園祭限定勝山。年長舞妓が結います。

 

 

祇園練り物は、江戸時代から昭和35(1960)年まで続いていた芸妓の仮装大会。

祇園祭の神輿洗に際し、7月10日と28日、

当代きっての売れっ子芸妓らが、絢爛豪華な仮装衣装をまとい、

お囃子者らと共に、界隈を夜通し派手に練り歩く・・・

元来、町方による神輿のお迎え提灯が、

それだけでは寂しいので、仮装の練り子とお囃子が付随し、

いつしか、練り子が芸妓に変化していったそうな〜〜

ともかく。

毎年異なる仮装とその趣向が人々の関心事で、番付表が発表されるほど人気あったものが、

芸妓が主となる催しだけに、文化財としての価値が認められず衰退していったそうな。

しかし。

祇園祭に華を添えるこの習俗の復活を望む声も高く、

いつしか・・・

私が生きているうちに、この目で見ることができたならあ〜と思う次第です。

 

 

 

 

 

 

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