スポンサーサイト

  • 2021.10.18 Monday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -

    年画の鍾馗-2

    • 2017.11.30 Thursday
    • 11:06

                  上海紙馬・魁頭

     

    いきなりキョーレツな鍾馗さんの登場!

     

    前回、鍾家の期待の星であるイケメンで秀才のは、

    科挙・殿試を受験するべく、都の長安に向かうのだ〜〜という所まで書きました。

    その続き。

     

    殿試の前夜、泊まった旅館主より前祝いに酒をしこたま飲まされ

    (なので後世には、鍾馗は酒豪とされてしまう)

    酔った鍾魁は、5匹の悪鬼の住む洞窟に迷い込み、彼らに顔を傷つけられて醜顔に。

    (実は旅館主は同郷の杜平。魁の文部両道・イケメンを妬んだゆえの行為だった・・・)

    魁はそのまま殿試に臨み、ペーパーテストは首席で合格するものの、

    テストの成績だけではなく、殿試の場合は容貌も重視するので、

    試験管により落第させられてしまい、世を儚んで自殺。

    後日、魁のことを知った高祖皇帝は彼の死を悼み、

    進士が着用する緑袍を魁の亡骸に着せて、埋葬したのです。

     

     

    紅袍を着用する鍾馗絵もありますが、上記の理由により正式には緑袍です。

     

    ところで。

    隋・唐時代の朝廷は、階級・身分が厳然と区別されていました。

    官人(唐時代の官史のこと)の階級=品階は30あり、

    宮廷内で勤めるのは1〜9品まで。そのうち5品以上が貴族。

    服装は、皇帝も含めて基本の朝服は長袍。

    烏紗帽をかぶり、履=革の黒長靴をはきます。

    ただし、服の色や生地・模様には厳しい規定がありました。

    まず服色。

    上色には、黄、紅、青、黒・緑、

    下色には、藍、紫、浅藍、浅紫、醤(濃褐色)と補充的に用いたのです。

    特に黄色は王族のみ許される色。

    皇帝は明黄、王公老将は杏黄など、黄色でも厳格な差がありました。

     

    さて。

    鍾馗の身分を推測すると(もともと鍾馗自体の実在も不明なので・笑)

    まず、国子監(武官教育機関)卒業なので武官。

    進士は、宮廷内では最下級身分で8~9品。服色は緑。

    でも初進官なので、9品だろう〜と思うのですが、いかが??

        →と言われても困るよなあ〜〜笑

    9品武官として仮定すると・・・

    帯は黒の角帯(1品は玉)笏=木製(1品=象牙)

    そして補子(=胸と背に縫い付ける円形の織物で、身分の詳細を表すもの)

    文官は鳥の刺繍、武官は獣。鍾馗は9品武官なので海馬。(1品=獅子)

    そして最大の区別は、生地には刺繍や模様が出来ない!つまり無地なのです。

    まとめると、

    鍾馗は無地の緑袍に黒の角帯を締め、木製の笏を持ち海馬の補子を付けていた・・・

     

    でも実際の鍾馗年画は、本来は4品以上の者しか着用できない紅袍の絵が多い。

    それは、紅大好きな中華民族にとって、

    鍾馗は紅に相応しい、とても愛すべき門神だからのでしょうね〜〜

     

                                             魁頭

     

    科挙試験は超難関で過酷。

    その科挙に受かり、首席で進士となった者が魁首(または魁甲)

    首席=頭。馗=魁。ということで、

    科挙受験者には、魁頭年画が特に重んじられるようになったのです。

     

                山西年画

     

    さて。自殺した鍾魁は、冥界で閻魔大王の神判を受けることに。

     

    本来は地獄行きの鍾魁なれど、天界の最高神である玉帝は,

    閻魔大王より、鍾馗が友人に騙されて自殺に至った経緯を聞いて同情し、

    また、彼の聡明さと剛毅さを見込み、悪鬼退治将軍に命じました。

    つまり鬼王となり、鬼王の名に相応しく

    9ケの鬼の首である=馗に改名し、これより鍾馗と名乗ることになるのです。

    ・・・一説には、殿試の登録名は鍾魁。

    しかし、鬼に襲われた折に鍾馗と改名し、それを殿試で書いてしまい落第した、

    とあるのだけれど、殿試を受験するような秀才が、

    そんなヘマは(私じゃあるまいし・笑)しない〜と思うのだけれど・・・

     

    ときに、玄宗皇帝が悪鬼が原因とされる熱病(マラリア?)に苦しんでいると、

    大鬼が現れてその悪鬼を食べてしまい、その大鬼が言うには、

    「私は鍾馗という者。先代の高祖への恩返しをするために参上したのです」

    そして、みごと玄宗の病は完治。玄宗は画家の呉道子に鍾馗の絵を描かせ、

    門に貼って魔除けとしたそうな。

     

                 魁星(武強年画)

     

    科挙受験者に最も信仰されるのは孔子だけれど、次には魁星神。

    学問神なので右手には筆を持ってます。

     

               上海神馬・拝魁星

     

    7月7日は魁星神の誕生日。女子は七夕祭りに浸り、

    若い男子は、魁星に祈ります。

    絵の人物はまだ幼くでもイケメン。若き鍾馗を彷彿とさせます。

     

     

                 南通年画

     

    この鍾馗の顔は黒く、また上段に登場したのは魁頭は青い顔ですね〜〜

    古来より、門番は犯罪者や障害者、身分低き者が当たりました。

    なので門神の顔は、それを象徴するような黒・青色で彩色したものもあるのです。

     

     

     

    年画を貼る場所ですが、

    表門(門画)には秦凉・敬徳や関羽・超公明などの武問神。

    室内(房門画)は、天官・財神・仕女などの文門神。そして鍾馗は裏門。

    さらには家畜小屋(柵門画)があり、鍾馗を柵門画として用いる地方もありました。

    それは、身分差別の意味合いももちろんあったでしょうが、

    鍾馗や門番などの異形・異能の者は、あの世に近い特別の霊力の持ち主とされ、

    人々より畏敬されていたのだろうと、私は思います。

     

    さて。人々に幸福を授け、学問の神としてさえ信仰される鍾馗。

    鍾馗は人であり鬼であり神である・・・のだけれど、

    でも、鬼を捕まえ退治する=捉鬼門神が、本来の身分。

     

            

     

                捉鬼鍾馗・楊家埠年画

     

    捉鬼鍾馗の説明については次回にて〜〜 続く

     

               

     

     

     

     

                                   

     

     

     

     

                

     

     

     

     

     

     

     

     

     

                 

     

     

     

     

                  

     

     

     

     

     

     

     

     

                   

     

     

     

     

    PR

    calendar

    S M T W T F S
       1234
    567891011
    12131415161718
    19202122232425
    2627282930  
    << November 2017 >>

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    recommend

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM