端午の節句-3

  • 2018.05.04 Friday
  • 21:25

 

5月5日は子供の日=端午の節句です。

 

奈良時代、中国起源の端午節が日本に伝来した当初、

日本も入梅に重なり、疫病が発生しやすい時期なので

薬草効果の高い菖蒲を飾り入浴し、息災を願う行事でした。

ところが、

江戸時代には、男児の健やかな成長を願う、日本独自の端午の節句となっていきます。

その象徴が鯉のぼり

鯉の滝登り=登龍門伝説のように、強く雄々しく出世するように〜とのいわれがあります。

・・・登龍門=鯉魚跳龍門

   黄河上流の激流である龍門を上りきった鯉は龍と為すので、

   難関な科挙試験の合格や出世を示唆。

   ちなみに、鯉のウロコは36枚 ,龍は81枚。81は六十四掛では最高の乾。

 

実は、中国には鯉のぼりの習俗はなく、日本独自のもの。

江戸時代。武家に男児が誕生すると、それを知らせるために、

門前に家紋を記した紙製の幟(のぼり)や吹き流しを立てたのが始まり。

吹き流しの五色(青・赤・黄・白・黒)は陰陽五行説では聖色。

中国の子供の魔除け=続命縷が伝来したものですが、

龍は鯉を獲って食べようとしているものの、五色の吹き流しに守られて鯉に近づけず、

なので、鯉は大空を悠々と泳いでいるのです。

                  

                 尚武飾り

 

武者(尚武)飾りは、京都伏見にある藤森神社の皇馬(こんま)神事が発祥

 

 

皇馬(こんま)神事は、清和天皇配下の武者の行幸行列ですが、

その武者らの鎧・兜姿を、人形に模したものが尚武飾り。

邪気払いの菖蒲が尚武=勝負と結びつき、競べ馬や流鏑馬も奨励され、

男児の出世や、武運長久を祈るような行事に形作られていくのです。

 

 

さて。端午に食べるものといえば、ちまきに柏餅

 

両物はもともと、神様への供物でした。

ちまきは茅巻き。なのでチガヤが始まりで後に笹・マコモ・ヨシなどで包むように。

柏餅は江戸期以降から。

古来は柏葉を食器代わりしていたし、

冬は葉は枯れても、落葉しないので縁起が良いとされました。

なお、

節句は節に際しての神へ供物。なので節供と書くのが本当だとか。

 

中国ちまきは粽子。北方の具は豚肉・なつめ・あひるの卵などで塩辛く、

南方では小豆餡で、甘めですね。

 

この3種の中、私が好きなのは当然粽子!?

いいえ、なんたって柏餅。

だって皮をむかずに済むので、食べやすいも〜〜ん・笑

 

              粽子

 

このちまきの由来は、屈原の故事であることは有名ですよね〜

 

    船は厄除けの菖蒲で覆われています

 

楚の王族に生まれた屈原(bc340~278頃)は、有能な政治家だったが讒言により追放。

秦により楚が陥落し、屈原は祖国の滅亡を悲しんで5月5日、長江の支流汨羅江に入水。

人々は屈原を救出すべく早船を走らせ、これが賽龍舟=ドラゴンボートレースへと発展。

その後汨羅の人々は5月5日になると、

魚の餌食にならぬように笹に巻いた蒸した餅米=粽子を川に投げ入れ、

屈原の慰霊と為すのです。

 

 

実は、賽龍舟(爬龍とも)を含む舟競争=競渡は春秋時代にはすでにあり、

長江流域から南にかけては、競渡が盛んでした。

越王勾践(〜bc465)は、競渡に託して呉への報復を考慮し、それが賽龍舟の起源との説も。

 

唐や宋時代になると、競渡が宮廷行事となり下記↓のような豪華船に。

この競渡は舟の早さを競うのではなく、川に投げた豪華景品を拾いあげるものであったそうな。

 

             杭州・太湖の龍船

 

競渡の起源を遡ると、それは 5月5日に行われていた水神・龍神祭

 

長江流域では、水辺で不幸死した者は水神になり、

水神が祟ると水害や干害が起こるのだ、と考えられていました。

じつは。

旧暦5月は雨期が始まる芒種、つまり田植えの時期。

この時期の雨は、豪雨でも少雨でも困るのです。

競渡は、ゆえに適量な雨を望む雨乞いの儀式で、粽は水神への神饌だったのです。

そして。

5月は田植えの時期である〜〜ということが、

端午は女性の祭りであったことに繋がるのです。

 

               軒菖蒲

 

厄災除けに、中国では門前に菖蒲をぶら下げるけれど、日本は軒に吊り下げます。

これは早乙女(苗を田に植え付ける女性のこと)が、

田の神を迎えるために、精進潔斎をして小屋にこもる=葺き籠りの名残り。

 

日本では五月は皐月であり早苗月。農業国にとって田植えはとても重要なことで、

まして田植えは、女性労働に支えられているもの。

農繁期前の1日だけ、つまり5月5日は女性に休養を与える<女の家>とされ、

この日だけは女性が上座に座れ昼寝もでき、女性が威張って良い日でした。

 

               回娘家

 

屈原の故郷湖北省では、男尊女卑が厳しい儒教下でも、

端午節にだけは嫁いだ娘の里帰りが許され、娘を父が迎える習俗があります。

 

日本には女の家制度がありましたね〜。

つまり。

端午の節句は男児ではなく、女性のための節句!であったのです。

 

 

ともあれ。子供は国の世界の宝。

男子であろうと女子であろうと、すくすくと健やかに育つことを願うばかりです。

 

 

              鯉のぼり    

 

    いらかの波と雲の波 重なる波の中空を 

                橘かおる朝風に 高く泳ぐや鯉のぼり

 

    開ける広きその口に 船をも呑まむ様見えて 

                豊かに振ふ尾鰭には 物に動ぜぬ姿あり

 

    百瀬の滝を登りなば 忽ち龍に成りぬべき  

                我が身に似よやをの子と 空に踊るや鯉のぼり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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