祇園祭/前祭・菊水鉾

  • 2018.08.29 Wednesday
  • 18:38

                                                 菊丸

 

ほんまに嫌になるほど、残暑が厳しいけど、でも暦上は秋やし9月になるので、

テンプレを秋の感じに変えてみたよ〜〜ん。

 

さて。祇園祭山鉾紹介の続き。

菊丸をお乗せしているのは、菊水鉾

町内に古くからあった、菊水の井戸にちなんで名付けられたもの。

菊丸は、中国・周時代、菊の露を飲んで700歳も長生きした菊慈童をモチーフにしています。

お顔は、他の鉾のようにお稚児さん顔ではなく、京人形風。

それもそのはず。頭の製作は、京都出身人形師人間国宝4世面竹正太郎。

能衣装を着ているけれど、菊水鉾町には金剛流の能楽堂があったから。

 

 

蛤御門の変(1864年)のどんどん焼けで、焼失した菊水鉾。

そして昭和27年、88年ぶりに悲願の再興を果たした昭和の鉾。なので全てが豪華絢爛。

とくに目を惹くのが、山鉾唯一の唐波風屋根と懸魚の鳳凰。

軒下には翠簾(すいれん)を下げ、まるで御所のよう。

 

    懸魚=木彫りの鳳凰は平成11年、仏師・海老名峰彰作。

 

 

屋根に恵比寿さまをお乗せしている。わかるかしらん〜

菊水鉾町の旧名が夷(えびす)三郎町。恵比寿さまは、町内のお祀りされていたもの。

 

 

音頭取りは烏帽子をかぶり、扇ではなく菊葉の団扇を持ちます。

また、くす玉は菊花飾結び。菊尽くしですね。

 

鉾焼失後明治になって、残された前懸・見送は山伏山へ。囃子方の鉦も、函谷鉾などへ譲渡。

そして昭和27年、鉾がないまま、

南区のとある神社の神輿車を借りて、仮巡行にまでこぎつけます。     

翌年に鉾が完成するも、懸装品が何一つない白木での巡行。

以後、巡行ごとに懸装品を増やしていくのです。

なので、音頭取りの装いの違いも、

我々菊水鉾は他の鉾との違うぞ、という気概の表れだと思うのです。

 

 

菊水鉾は、皆川月華・泰造親子・山鹿清華などの有名染色家による懸装品を所有しつつも、

夷、という町名にちなんで前・胴懸を、狩野岑信(1662~1709)下絵の七福神に統一することに。

製作は、有名な川島織物。

織りの刺繍は、800色もの糸を手作業で刺していくので、

横幅3mで、1日1僂靴織れないそうな。ほんまに気が遠くなるような仕事。

 

              胴懸=福禄寿と寿老人

 

菊水鉾は長い中断があったので、お囃子が伝承されておらず、

そこで月鉾の囃子方の協力により復活。

なので、菊水の囃子は基本的に月鉾と同じですが、現在は残っていた鉦の譜本を復曲もしており、

月鉾町を通る時は、菊水独自の曲を演奏するそうです。

 

通常囃子方は徒弟制度の中、鉦10年後に太鼓・笛と学んでいくのですが、

菊水の囃子方の成立は上記のようなことにより、三位一体システム。

昇格試験により実力本位で、鉦・太鼓・笛と選択できるのです。

伝統の維持も大切だけれど、維持するためには改革も必要ですね。

 

                  荷担い茶屋

 

町内にあった菊水の井。実は千利休の師=武野紹鴎の屋敷内にあった名水。

それにちなんで、菊水鉾では辻回しごとに町役にお茶を振舞います。

また。

13~16日には会所でお茶会が。表・裏千家に遠州流のお点前がいただけます。

この時に出されるお茶菓子=水羊羹<したたり>も名物。

また、お茶受け皿は景徳鎮で毎年変わり、コレクションにしている人も多いです。

 

ただね・・・大きな声では言えへんのやけど、

お茶菓子代が2000円!

ま、お皿込みなので妥当な値段・・・かもしれんけど、

祇園祭ではその他色々と散財するので、

<したたり>を食べたんは数年前の1回のみ。 ケチなかめりんどすえ。

 

       見送=岩沢重夫画<深山菊水>

 

菊水鉾の厄除けちまきのご利益は、不老長寿と商売繁盛。なので人気高。

 

この粽、飾り付けは各鉾町の女手でされるのだけれど、

飾り付け前は、保存会が一括して洛北・深泥池の農家に依頼。

藁を結わえる前の下準備として、もちろん汚れを取り、長さを揃え湿らせておく。

それから初めて作業にかかるのですが、

藁を芯にして熊笹の葉で1本づつ巻き上げ、それをい草でくくって10本が1組。

慣れた手でも、完成するには1本10分ほどと手間がかかる作業。

でも、熊笹が鹿に食べられ絶滅。なので熊笹は信州から、い草は岡山から購入しているとか。

 

農家から納められた粽は会所に運ばれ、女性・子供・ボランティにより、

蘇民将来子孫也の護符と造花、御幣などを飾り付けるちまき巻きがされていきます。

その数、山で4~8000本、鉾では2〜3万本!  

出来上がった粽は八坂神社でお祓いを受け、厄除け粽となるのです。  

昭和半ばまで、巡行中に鉾上から粽投げとしてばらまかれていたのだけれど、

粽の奪い合いで怪我人が続出。なので禁止となり、

現在、巡行中の粽投げは、町方役・関係者などに配られています。

・・・10月初旬にされる大津祭りでは、今でも粽投げがされてます・・・             

 

厄除け粽は玄関先や門口に飾り、1年後に授与した鉾に、または八坂神社、

もしくは、節分時に吉田神社にお返しします。

京都人必殺技としては、大津市のある厄除け寺安養寺に返納ということも。

なお観光客の場合、地元の氏神様でも0K。

 

ところで。

厄除け粽は、山鉾町にとっての大切な収入源。

各山鉾町では、1本500円から1000円前後で販売しているのだけれど・・・

例えば役行者山では、1本700円で授与しているものの純利益は140万円ほど。

つまり、原材料代に消えているのですね。

こういう事情を考慮すれば、原材料を安価な外国から輸入するのも、

粽の値上げもやむなし、とは思うのやけれど・・・

でも粽授与は、あくまで神事で商売ではない。だから販売ではなく授与と言うわけやし。

 

補足。祇園祭に授与できなかった厄除け粽、

7月中なら八坂神社でオリジナル粽が授与できま〜〜す。

でもね、あくまで神事なので、ネット販売は一切無しですよ〜〜。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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