東湖

  • 2018.12.01 Saturday
  • 10:01

 

なんということでしょう! 12月になってしまいました。

一年経つのは、本当に早いですねえ〜〜

 

ということで今回は、紹興郊外にある東湖の紹介で〜〜す。

 

 

隋時代(581~618) 越王の楊素が築城のために周辺の山を採石し、その山が断崖絶壁となり、

地下水と川水が相まって湖が。

清代(1700年頃)陶淵明の後裔である書家・陶俊宣が、橋をかけ庵を作り、

園林(庭園)となりました。

杭州・西湖、嘉興・南湖と共に浙江三名湖とされ、小西湖とも呼ばれます。

 

                  烏蓬船

 

烏蓬船は、紹興のみで使用されている足漕ぎ舟。船体が黒いので烏。蓬は日除け・雨避けのこと。

江南地方は長江の支流が無数にあり、川流れや川底の形状が川筋ごとに異なるので、

地域ごとに舟種が違っていたそうな。

 

 

上の写真は、採石場跡が洞窟となり、それをくぐる時で〜〜す。

東湖を訪れたのは10年前。今は乗船には救命衣が義務付けられ、安全面は進歩。

でもね、乗船代が10倍になっとるやん・・・

 

 

古来 紹興は会稽(かいけい)と呼ばれ、越国の首都でした。

その越と敵対したのが呉。いわゆる呉越同舟にまつわる都市です。

 

殷・周と経て,世は春秋戦国時代(BC770~221)へ。

周の政治に不満を持つ諸侯=北方では燕・斎・魏・韓・趙・秦など、

南方では楚と呉・越が、それぞれ台頭し覇権を争います。

諸侯が勢力を持つ原因は、鉄器の登場。

鉄武器の高性能化もありますが、

それよりも、鉄スキの登場で牛耕することにより農業生産が上昇し、

それに伴い、手工業・商業が発展したことにあります。

また、

庶民にも文字が普及し、諸子百家=墨子・荀子などの思想家も登場。

個人の生活力が増大したからこそ、諸侯が台頭できたわけですね。

結局、

秦の始皇帝の天下統一を以って、春秋戦国400年間の騒乱が終結するのですが、

この400年間は、中華帝国文化の礎とも言えます。

 

 

呉越同舟とは、仇どうしでも利害が一致すれば協力し合う、という意味ですが、

BC500年ごろ、呉は江蘇省一帯、越は浙江省の一部を治める侯族で、

隣国同士、絶えず攻めぎあっていました。

BC496年越王の勾践は、臣下の范蠡(はんれい)の奇策により呉に勝利。

呉王・夫差は復讐を忘れじ、と硬い薪の上で寝るのです(臥薪)

そして2年後、夫差は越を攻略。勾践は土下座して和を請う会稽の恥を負います。

このとき夫差の臣下である伍子胥(ごししょ)は、後のことを考え勾践を殺すべきと諫言するも、

夫差は勾践を助命し、これが後に呉滅亡の大因となるのですね〜〜

ともかく勾践は、部屋の入り口に熊の肝を下げて出入りするたびに舐め(嘗胆)

その苦さを復讐のカテとして呉への勝利を誓い、22年後ついに夫差を討ち倒します。

これが臥薪嘗胆の故事で、転じて目的を遂げるために苦心し努力すること。

 

 

ところで。

夫差の臣下である伍子胥は元来は楚の貴族。

楚の平王は配下の讒言を信じ、伍子胥の父・兄を惨殺し、伍子胥は復讐のために呉の配下に。

呉王・夫差が平王を討つと、彼は平王の墓を暴き遺体に鞭打ち、これが死者に鞭打つの語源。

部下がその非道を咎めると、日暮れて道通し、老い先短いので後先考えない、と答えるのです。

また。

春秋時代、諸侯が同盟を結ぶ際に、切った牛耳の血を飲み干すことを<牛耳を執る>と呼び、

それが牛耳るの語源です。

そして。

伍子胥は、夫差の変心により自死に追い込まれ、

その遺体は皮袋に詰め込まれ、長江に投棄されてしまう・・・という末路に。

 

さて。

越攻略の手段として美女を夫差に差し出し彼を骨抜きに〜〜という

傾国の美女作戦を提案したのが范蠡。→ほんま、トンデモない作戦や・・・

彼は紹興郊外で浣沙(絹をすすぎ洗いする)していた美少女を発見。

彼女こそ、中国4大美人の一人である西施(他は王昭君・貂蝉・楊貴妃)

楊貴妃はふっくら美人だけれど、西施は細面に柳腰。

 

 

13歳の西施は、宮廷の作法や教養を身に付けさせられ、17歳で夫差の元へ。

勾践や范蠡の思惑通り夫差は西施に溺れ、弱体した呉は越に滅ぼされてしまい、

勾践は、ついに会稽の恥を雪ぐことができたのでした。

 

此れにより、范蠡は権力を得る立場になるも勾践の変心を予期し、

一切の身分・私財を投げ捨て山東省に渡り<陶朱公>と名乗り、

裸一貫から大商人となるのです。

治国良臣・兵家奇才・商家始祖・・・の范蠡は中国人の理想。

その彼と、絶世の美女西施のロマンスを願う庶民の心は当然のことで、

浙江省の崑劇<浣沙記>では、范蠡と夫婦となり、ハッピーエンドな結末になっています。

 

終わりに・・・アバタもエクボ。中国では

情人眼里出西施・・・恋人の目にはすべてが西施に見える=と言うのだけれど、

本当に意味深ですね〜〜

 

 

              越中覧古    李白

 

          越王勾践破呉帰  義士還家尽錦衣  

 

          宮女如花満春殿  只今唯有鷓鴣飛

 

   越王勾践は呉を破り 兵士は故郷に戻り錦を飾る。春の宮殿は、宮女で花のように満ち、

   今は(荒れ地となった呉に)鷓鴣(サギ科の鳥)が飛ぶばかり

 

 

 

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