蒋介石生家

  • 2018.11.05 Monday
  • 18:49

えっつつつつつつ、蒋介石総統!・・・・?

 

彼、実は写真館で客引きする、そっくりさん。

蒋介石のそっくりさんが活躍?するのは、

この村が、蒋介石の故郷である浙江省奉化県・渓口鎮だから。

紹興に近く、上海から300キロほど。

実は、

一週間かけて旦那と彼の親友三人と、紹興はじめ江南の古鎮を巡る、

今回の珍道中最大の目的が、蒋介石の生家探訪。

 

 

蒋介石は1887年、この村で父・粛庵、母・王采玉の長男として誕生。

幼名=瑞元、本名=中正、字=介石。家では周泰、学校では志清と呼ばれており、

9才で四書を読破する秀才だったそうな。

 

 

毛沢東最大の敵である蒋介石の屋敷なので、

文革で破壊されたはずなのに、創建当時のまま残っていたのが意外。

ちなみに毛沢東は1893年生で、蒋介石より5歳下。

 

 

屋敷は、敷地内に舞台がある伝統的な江南住宅。

こんな立派な屋敷なのは、蒋介石の祖父・王表が塩(とお茶)商人だったから。

塩は専売品なので、塩を商えるのは地元の有力者に限定されていたのですね。

ところで。

母・王采玉は前夫の死後出家して尼になるも、なぜか妊娠。

それを承知の祖父が病弱の息子=粛庵と跡取り目的で結婚させ、誕生したのが蒋介石。

彼の誕生からして曰く付きで、その後の数奇な運命を示唆してますよねえ〜

 

 

介石は10歳で祖父と父を相次いで亡くし、

中国の封建的土壌で寡婦となった母が生きていくのは苦労が多く、

なので箔をつけるために15歳で毛福梅と結婚。

田舎の塩商人で終わりたくない介石は、軍人になるべく上海を往復する中、

1910年(介石23歳)に長男・経国が誕生。

その後、

母思いの介石なので、後に生家の隣に母と先祖を祀る祠堂を建てちゃいました。

 

 

            蒋氏祠の屋根を飾る龍と孔子?

 

 

蒋介石はこの家屋☝の2階で、1887年10月 31日に誕生。👇は誕生時のベッド。

 

 

蒋介石。実は経国誕生前の1906年(介石19歳)に日本留学し孫文と出会い、

24歳で、日本陸軍第13師団第19連隊の隊付き将校に。

しかし、1911年に辛亥革命が勃発し直ちに上海に帰国、救国運動に没頭していくのです。

 

国民党女性兵士のコスプレで記念写真・・・屈託ない中国人観光客。

 

ここを訪ずれる前は、さぞひなびた農村やろうなあ〜と思っていたら、

実際は観光客で溢れている。

ただ外国人はおらず(→ま、私は外国人やけど・笑)中国人と台湾人ばかり。

共産党は、未だ台湾は中国の省都の一つとし、蒋介石の総括は無言やけど、

庶民の彼への人気、というか興味は深いですね〜〜

特に旦那たちは文革で、毛沢東らに手痛い目に遭わされているので、

国共内戦で、蒋介石にもっと頑張ってほしかった・・・と幻想を抱いていて・・・

 

                  小洋房

 

広大な蒋家邸宅の片隅の、川沿いにあるこの小さな洋館に、息子の経国夫妻が住んでいました。

 

 

                蒋介石夫妻の寝室

 

蒋介石と宋美齢夫妻はこの小洋館からの川のある景色がお気に入り。

上海から度々帰省してはここに泊まりました。

また台湾に渡ってからも、渓口鎮の風景を終生懐かしがったそうな〜〜

 

                 経国夫妻の寝室

 

蒋経国の妻は、ロシア人ファン・ニーナ(中国名・蒋方良)

父・介石は、経国の母とは離婚した後結婚・離婚を繰り返し、4度目が宋美齢。

彼はそんな父に馴染めず共産主義に傾倒し、1925年ソ連に留学し革命運動に邁進。

一方、孫文死亡後翌年1926年に国民党総司令官となり、共産主義者を弾圧していく蒋介石。

激怒したスターリンは、

息子の蒋経国を農村の重機工場労働へ追いやり、そこの労働者であったファンと出会うのです。

その12年後にやっと帰国を許され、

ソ連の現実に傷心した蒋経国夫妻は、母・毛福梅の住む渓口鎮に戻ると、

母は異国の妻を心より歓待し、ために経国は母を心より敬愛するのですね。

ところが1939年12月12日。

日本軍の爆撃でその母が死亡し、蒋経国は「以血洗血」血を以って恨みをはらす・・・

との決意を秘め、父蒋介石とともに抗日運動に邁進することに。

ちなみに。

蒋経国のソ連留学経験が、

台湾第2代総統就任後の台湾統治と外省人の弾圧に生かされたそうな〜〜

 

さて。

国共(国民党×共産党)内戦のみに執着する蒋介石に、

1936年12月、

張学良は西安で蒋介石を拉致監禁し、抗日民族統一戦線を成す西安事件を起こし、

蒋介石はこの時の恨みを生涯忘れず、

日中戦争終了後直ちに張学良をこの渓口鎮で軟禁。

中華人民共和国建国後、台湾に逃亡する蒋介石・経国親子と共に、

張学良も引き連れ、台湾で50年もの軟禁生活を送らせるのです。

またこの時、渓口鎮及び奉化県の人々2万人が台湾に移住。

なので、台湾料理の基本はは浙江料理なのですね〜〜

 

                  武嶺中学

 

蒋介石は息子・経国の教育のために、学校を建て校長に就任しちゃいました。

現在は蒋介石関連の博物館になってますが、

介石は経国に「これからは英語と化学の勉強が必要だ」と書いた手紙が展示してあり、

ほんまにそうや・・・と英語が全くできずに日々苦労する私が得心した次第。

 

ところで。

経国には弟の緯国がおり、経は縦糸、緯は横糸の意味で、

兄弟が繋がり中華民国を盛り立てるように〜との意味があるとか。

でも実は緯国の母は日本人説が・・・(説というよりほぼ事実だそう)

その出自ゆえに冷遇された緯国は、父に反旗を翻したことも多々あったそうな。

「現実は小説より奇なり」そのものの蒋介石一族・・・

 

           渓口鎮の<卯建つ>が美しい民家

 

最後に。

蒋介石成果や張学良軟禁地など、徒歩では半日かかり、

なのでオート3輪の客引きが群がるのやけど、断っても断ってひつこくついて回り、

なんと参観し終わると、その内の一人が出口で待っていて、その凄い執念に脱帽。

かつては、

有っても無いと言う、中国人民の没有(メイヨー)攻撃にたじろいだものやけど、

現在は、金儲けのためならなんでも有りなんでもする人民となり、

これは進化したのやろうか・・・? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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