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- 2021.10.18 Monday
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龍箏
清明節前後の青空にたなびく紙鳶(凧)
清明節の墓参がてらに踏青(郊外散歩)する習俗の起源は、曲水の宴にありました。
江南地方は太湖・西湖などや河川が無蔵にある水郷。
宋時代にはこの曲水の宴が大規模になり、船団を組むまでに。
主船は祭祀船、次いで男賓船、女賓船、語尾に厨師船という船遊びとなりました。
この船遊びは、男女差別の厳格な儒教下、
外出禁止の女性たちの気晴らし、また男女の出会いの場ともなったのです。
中国恋愛物語の古典<白蛇伝>では、杭州西湖の断橋で、
千年にもなる白蛇の精=白素貞が、青踏で来ていた許山と出会い恋に落ちるのでした。
蹴鞠
寒食で体力を消耗すると考えた中国人は、踏青や体を動かすこと=放箏(凧揚げ)蹴鞠・
馬毬(ポロ)や鞦韆(ブランコ)を奨励しました。
蹴鞠はbc400年頃の起源とされ、打毬、蹴円とも呼ばれ、宋時代には老若男女が競い、
宋や唐の太宗も熱中していたそうな。更には馬に乗る馬毬(ポロ)も登場します。
ところで打毬は、
伝説の皇帝である黄帝が、敵王の頭をマリにして蹴りあったことが始まりだそう。
これに使用した毬杖は、後に処刑や調伏に使用され、
正月には、毬杖を3本束ねたものを厄払いとしてお焚き上げし、
3本杖が、日本の左義長の起源との説もあります。
紙鳶(しえん)は凧のこと。飛箏・風箏とも。
日本の凧あげは5月端午の節句前後が盛だけれど、
中国江南の場合、
清明節は新暦4月初旬で上流に強い気流が一定方向に流れる、凧揚げには絶好の季節。
(北方では清明節の頃はまだまだ寒く、秋10月が盛ん)
凧は春秋時代(bc600〜)に起源を持ち、
当時は木製だったので木鳶と呼び、紙製となったのは漢時代(bc200~)
鳶の付くように、空を飛ぶ鳥たちにをヒントを得たのでしょうね。
なのでデザインは、鳥系=孔雀・鳳凰・燕や飛ぶもの=蜻蛉・蝉・蝶が多い。
なお、中国凧には2種あり、デザインや彩色を競う花箏と音色を競う板箏。
板箏は揚州が有名。凧に竹笛などを取り付けたものです。
後には、大空に舞う凧に神を重ねたのか、航海の安否や占い厄払いに。
凧の糸を切って飛ばすと放災=厄災を捨て放つとされたのです。
また、凧が家の敷地に舞い込むと、厄を招くのでお祓いがされたとか。
他の用途として、戦場での情報伝達手段としても用いられました。
鞦韆(しゅうせん)
凧揚げ、蹴鞠などは必ずしも寒食明けの行事ではないのだけれど、
鞦韆=ブランコこそは、寒食明けに体を敏捷にする北方民族の習俗でした。
唐時代には宮廷でも競技大会がされました。
ただ現代中国では鞦韆は廃れ、でも朝鮮半島に伝来し、
現在でも鞦韆戯(クネテギノリ)として、端午の節句によく行われるようです。
清明 杜牧
清明時節雨粉々 路上行人欲断魂
借問酒家何処有 牧童遥指杏花村