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- 2021.10.18 Monday
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江戸後期・ 先笄
台風24号、皆様お住まいの地域の被害状況は、いかがでしたでしょうか。
私の所は通過地点がそれたのか、あっけないほどでしたが、
場所により被害が甚だしく、お見舞い申し上げます。
しかし。
地球温暖化の影響は、凄まじいものですねえ〜〜
でも、温暖化の原因を作ったのは我々人間なので、
その報いを受けざるを得ないのは、仕方ないことなのかも・・・
さて。櫛祭りの最終回。
先笄は、上方の町家若嫁に子供が生まれるまでの髪型。
子供が生まれると両輪になります。
娘島田
若い未婚女性の髪で、上方では少女や遊女も結っていました。
右より、娘島田・鴛鴦、お染・稚児髷・・・
手前=鴛鴦(おしどり・雌)
鴛鴦(おしどり)には、雄・雌の型があり、普通は雄を指します。
上方の町家娘=15~16歳まで結うものでした。
現在は、舞妓の髪型として、節分のお化け(舞妓の髪型は季節ごとに厳然と決められているが、
節分にのみ、自由結える)に結われることが、多いようです。
お染
少女の髪型。現代は舞妓が節分に結います。
お俊
町家の娘の髪型。お俊も舞妓の節分髪。
稚児髷
江戸時代より結われている髪型で、
6~12歳までの内親王や武家娘が結い、お小姓とも呼ばれました。
現在は、十三参りや祭事のお稚児さんに結われます。
当初は、笄も簪も挿さず、飾り物の使用は、大正期以降のことだそう。
復習。前列・左より=巻き髪、唐輪髷、元禄島田、元禄笄髷
後列・左より、先笄、娘島田、おしどり、お染
前列、左より=元禄・勝山、玉川島田、お梶、
後列=お俊、 稚児髷、 割り鹿の子
割り鹿の子
赤い鹿の子は娘に、青い鹿の子は比較的年長者が用い、
商家の女将、旅籠のお内儀、仲居さんなどに好まれました、
布(きれ)天神
切れ天神や毛天神とも。布の色合いで若さ粋さを強調・・・ということで、
芸者以外の玄人女性=鳥追いや水茶屋女中に好まれました。
丸髷
昭和まで結われた既婚女性の髪型。髷が大きいのは若嫁。
髷が小さくなるほど年齢が上がっていきます。
今、テレビ時代劇に登場する、最も多い髪型でもありますね。
明治時代・花嫁
明治まで、祝色が黒色。
なので、正式な場には黒紋付・黒留袖を着たのですね。
では白色は? それは聖色。神に近い色なので神職は白装束。
でも、死もあの世=神界に帰るとされ、喪服もだから白色。
白無垢はつまり喪服で、白帯を締めました。武士が切腹するときも白裃ですよね〜〜
花嫁衣装の白無垢・白打掛は、婚家に骨をうずめる覚悟を示したもので、
でも喪ではないので、帯は黒帯を締めたのでした。
ただ、打掛まで揃えることのできるのは大家・名家で、
庶民は、上記の黒振袖でした。
それにしても。黒振袖の美しいこと!
投げ島田
京都の芸妓が結うもので、現在でもおどりのお茶席では投げ島田を結うそうです。
桃割れ
大正時代・花嫁お色直し
今、これだけの衣装の着付けができる時代風俗衣装師や、
髪を結べる結髪師の後継者が減少し、
櫛まつりや時代祭の存続が、危ぶまれている状況です。
世界各国の民族衣装は、それぞれステキやけれど、
私は、着物こそ日本が世界に誇れる民族衣装!だと思います。
でも〜〜
時代衣装云々どころか、京都で着物姿で歩いているのは外国人ばかり。
日本人自身が、私も含めて着物を着ない・・・
着物って窮屈で、動きにくいし、着付けが難しいもん・・・
→本来の着物はゆったり着付けていたのが、今のように窮屈になったのは昭和30年代頃から。
それは着物業界と着付け教室の陰謀? との説もあったりして・・・
でもね、
着物をあまり着ない私が言うのも、ほんまにおこがましいけれど、
それでも、我ら大和撫子→ま、私は大和婆さんやけど・笑
一人一人がもっと着物を着るようになれば。
せめて新年は、着物で迎えましょう〜〜→私自身に言い聞かせておりますデス・笑
追伸。10月になり読書の秋・・・のイメージテンプレに変えてみました。