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    櫛まつり-4

    • 2018.10.01 Monday
    • 03:40

                                                 江戸後期・ 先笄

     

    台風24号、皆様お住まいの地域の被害状況は、いかがでしたでしょうか。

    私の所は通過地点がそれたのか、あっけないほどでしたが、

    場所により被害が甚だしく、お見舞い申し上げます。

    しかし。

    地球温暖化の影響は、凄まじいものですねえ〜〜

    でも、温暖化の原因を作ったのは我々人間なので、

    その報いを受けざるを得ないのは、仕方ないことなのかも・・・

     

    さて。櫛祭りの最終回。

    先笄は、上方の町家若嫁に子供が生まれるまでの髪型。

    子供が生まれると両輪になります。

     

                       

                    娘島田

     

    若い未婚女性の髪で、上方では少女や遊女も結っていました。

     

    右より、娘島田・鴛鴦、お染・稚児髷・・・

     

     

               手前=鴛鴦(おしどり・雌)

     

    鴛鴦(おしどり)には、雄・雌の型があり、普通は雄を指します。

    上方の町家娘=15~16歳まで結うものでした。

     

    現在は、舞妓の髪型として、節分のお化け(舞妓の髪型は季節ごとに厳然と決められているが、

    節分にのみ、自由結える)に結われることが、多いようです。

     

     

                        お染

     

    少女の髪型。現代は舞妓が節分に結います。

     

     

                        お俊

     

    町家の娘の髪型。お俊も舞妓の節分髪。

     

     

                       稚児髷

     

    江戸時代より結われている髪型で、

    6~12歳までの内親王や武家娘が結い、お小姓とも呼ばれました。

     

    現在は、十三参りや祭事のお稚児さんに結われます。

    当初は、笄も簪も挿さず、飾り物の使用は、大正期以降のことだそう。

     

    復習。前列・左より=巻き髪、唐輪髷、元禄島田、元禄笄髷

       後列・左より、先笄、娘島田、おしどり、お染

     

    前列、左より=元禄・勝山、玉川島田、お梶、

               後列=お俊、 稚児髷、 割り鹿の子

            

                   割り鹿の子

     

    赤い鹿の子は娘に、青い鹿の子は比較的年長者が用い、

    商家の女将、旅籠のお内儀、仲居さんなどに好まれました、

     

     

                    布(きれ)天神

     

    切れ天神や毛天神とも。布の色合いで若さ粋さを強調・・・ということで、

    芸者以外の玄人女性=鳥追いや水茶屋女中に好まれました。

     

     

                       丸髷

     

    昭和まで結われた既婚女性の髪型。髷が大きいのは若嫁。

    髷が小さくなるほど年齢が上がっていきます。

    今、テレビ時代劇に登場する、最も多い髪型でもありますね。

     

     

                    明治時代・花嫁

     

    明治まで、祝色が黒色。 

    なので、正式な場には黒紋付・黒留袖を着たのですね。

    では白色は? それは聖色。神に近い色なので神職は白装束。

    でも、死もあの世=神界に帰るとされ、喪服もだから白色。

    白無垢はつまり喪服で、白帯を締めました。武士が切腹するときも白裃ですよね〜〜

    花嫁衣装の白無垢・白打掛は、婚家に骨をうずめる覚悟を示したもので、

    でも喪ではないので、帯は黒帯を締めたのでした。

    ただ、打掛まで揃えることのできるのは大家・名家で、

    庶民は、上記の黒振袖でした。

    それにしても。黒振袖の美しいこと!

     

     

                     投げ島田

     

    京都の芸妓が結うもので、現在でもおどりのお茶席では投げ島田を結うそうです。

     

     

     

                       桃割れ

     

                   大正時代・花嫁お色直し

     

    今、これだけの衣装の着付けができる時代風俗衣装師や、

    髪を結べる結髪師の後継者が減少し、

    櫛まつりや時代祭の存続が、危ぶまれている状況です。

     

    世界各国の民族衣装は、それぞれステキやけれど、

    私は、着物こそ日本が世界に誇れる民族衣装!だと思います。

    でも〜〜

    時代衣装云々どころか、京都で着物姿で歩いているのは外国人ばかり。

    日本人自身が、私も含めて着物を着ない・・・

    着物って窮屈で、動きにくいし、着付けが難しいもん・・・

    →本来の着物はゆったり着付けていたのが、今のように窮屈になったのは昭和30年代頃から。

     それは着物業界と着付け教室の陰謀? との説もあったりして・・・

    でもね、

    着物をあまり着ない私が言うのも、ほんまにおこがましいけれど、

    それでも、我ら大和撫子→ま、私は大和婆さんやけど・笑

    一人一人がもっと着物を着るようになれば。

    せめて新年は、着物で迎えましょう〜〜→私自身に言い聞かせておりますデス・笑

     

    追伸。10月になり読書の秋・・・のイメージテンプレに変えてみました。

     

     

     

     

     

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