祇園祭番外編・舞妓はん-1

  • 2017.09.26 Tuesday
  • 02:11

 

祇園祭・後祭で、鉾町の役員代表へお神酒を献上する舞妓はん。

 

 

舞妓はん達の名前は、左端=西村屋・朋子さん、右端=廣島屋・小衿さん。

そして中央は、イ(い、ではなく、にんべんと読むのどす)の豆珠さん。祇園甲部所属です。

西村屋・イ・廣島屋というのは、彼女達が住み込み修行している屋形(関東では置屋)のこと。

 

京都の花街は、上七軒・祇園甲部・祇園東・先斗町・宮川町の五花街と島原です。

島原は遊郭=娼妓を抱え、五花街は芸妓・舞妓が主役。

芸妓たちは体は売らず芸を売るので、島原とは厳然とした区別があります。

五花街の起源は16世紀。

北野天満宮(上七軒)や八坂神社(4花街)の門前で、参拝客に接待をした水茶屋が始まり。

現在のお茶屋は、お座敷や料理を提供し、芸・舞妓は抱えません。

 

全盛期、5花街の芸舞妓は2000人にもいたのが、昭和50年頃にはなんと20人ほどに。

でも映画や、芸舞妓自身のブログでの発信記事による舞妓ブームもあり、

平成26年の統計では、お茶屋133件、芸妓181人、舞妓73人と増えつつあります。

 

五花街中、芸舞妓数が最多なのは祇園甲部で90人ほど。舞は井上流、舞踊会は都をどり。

次いで宮川町=若柳流、京おどり。先斗町=尾上流、鴨川おどり。祇園東=藤間流、祇園おどり。

最小が上七軒=花柳流、北野おどり。

なお、

京都の芸舞妓として、共通のしきたり作法もありますが、五花街それぞれに違ったりします。

このブログ記事では、祇園甲部を主に紹介したい、と思います。

 

補足。花街団扇は表が家紋で、裏が芸妓・舞妓名になります。

 

紅は我が出ないようにと下唇のみ。半襟には赤い刺繍がありますね。

ということから、豆珠さんは新人舞妓だとわかります。

 

舞妓の年齢・条件ですが、昔は10~13歳ごろで京都在住であること。

借金のカタの年期奉公、という場合も多々でしたが、現在それは一切無し。

舞妓に憧れた中卒後15~18歳頃の少女が、日本全国から自分の希望で

屋形(お茶屋と兼業もある)に住み込み修行します。

さて。

舞妓(関東では半玉)は、あくまで芸妓(関東の芸者)の前身。なので芸ができなくては!

入門から1年間は仕込みで、修行すること山のごとし。

まず屋形の女将(芸舞妓達はお母さんと呼ぶ)に、祇園のしきたり礼儀作法を教わります。

そして芸事。

地方=長唄・小唄・常磐津・三味線・太鼓・笛などの鳴り物に、花道・茶道(裏千家)書道・俳諧

そして最も大事な立方=京舞(祇園は井上流) これらは、女紅場や各師匠について学びます。

・・・あっ、今は京都以外のお人ばかりなので、お稽古以前に、京言葉の習得は必須どすなあ〜

 

なお、屋形は舞妓の衣装・お稽古代・食費その他諸々一切合切を負担します。

その代わり、舞妓のお座敷代は全て屋形の収入。

彼女たちにお給料はなく、手にするのはお小遣い程度となります。

 

 

花簪(向かって右。左はビラ簪)ですが、

正月稲穂、4月は桜9月は桔梗などと季節ごとに決められており、7月は団扇や流水など。

でも祇園祭期間中の簪は毎年異なり、でも夏らしいもので趣向を凝らします。

 

15歳で舞妓入門すると、仕込み期間はまだ日本髪を結えず、化粧もしません。

16歳で店出しとなり、初めて地毛で割れしのぶを結いお座敷に出ます。

17~18歳になると、髪型は割れしのぶからおふくとなり、両唇に紅をさし半襟も白一色。

 

左側=割れしのぶ     右側=勝山・・吉原遊女勝山が結い、後には既婚女性の丸髷となる。

 

夏の玉かんざしは、翡翠の青玉。(冬は珊瑚の赤玉) 

新米舞妓は割れしのぶですが、おふくを結う年長舞妓は、祇園祭時にだけに勝山を結います。

なお勝山の結髪には、髷の両側に梵天という撫子の銀の花飾りをさします。

 

芸・舞妓の白塗り化粧。特に襟足にそれが現れていますが、襟足は通常2本足。

また、肩と袖に縫い上げをしていますね。これはおぼこい=幼いことを表現するため。

舞妓はおぼこく見えることに重点を置くので、簪は多く華やかに、鹿の子も鼻緒も化粧も紅っぽく。

ところが20歳を過ぎるとえずくろしく(=おぼこくなくなり見苦しい)なるので

衿替えして、22歳頃には芸妓となるのです。

 

衿替えは、舞妓時の赤半襟が白になるのですが、

昔はパトロンとなる旦那に、水揚げがなされた証拠ともされましたが、現在それは一切なし。

なお、芸妓となると自前=1本となり、自分の稼ぎが自分のものとなります。

(ただ、1年間は屋形に所属し、お礼奉公します)

芸妓になると、舞で身を立てるも良し。結婚して花街を引退するも良し。

でも今生におさらばするまでお座敷に出、芸道を貫くお姉さん方もいるようです。

 

 

舞妓のお座敷衣装は、友禅染の裾引き(お引きずり)の振袖。西陣織のだらりの帯(屋形の家紋入)

美しいけれど、着慣れるのは大変。

通常の着物は1反は850g。しかし裾引きは2反もあり、それに胴裏・八掛をつける(冬なら裾綿)

着物下は長襦袢・裾よけもあります。

そして帯。通常の帯の長さは4 m。しかしだらりの帯は5~6m。

半襟でさえ1,5圓△襪里如⊇堯垢両りをつけると総重量は15圈20圈

とても女手の着付けは出来ず、男衆(おとこし)が着付けます。

 

 

舞妓専用の高下駄はお木履(こぼ) 高さが13僂癲

底部に鈴が入っていて、歩くたびにコボコボするのでこの名が。

着物が15圓箸垢襪函結髪し簪をつけると総重量は20圈それをおこぼで歩く。

しかも仕事によっては、10数時間もこの衣装。舞妓はいかに重労働で体力勝負か。

真夏の炎天下、それを涼しげな表情で居ることこそ、舞妓の意気地でしょう。

 

さて。舞妓の結髪は1週間に1度のみ。

寝るときは、型を崩さないように高さ15僂旅睨蹇おまくを使用。

これでは熟睡できませんよねえ〜〜

ところで。

昭和35年頃から芸妓は結髪せず、かつらをかぶるようになりました。

芸妓は様々な舞を舞うので、髪型の種類が多く煩雑であること。

長期の結髪は、地肌を痛めること(ハゲも多かったとか)

かつら自体の質が良くなり、軽くなったことなど。がかつらになった理由だそうな。

でも、実際は日本髪の出来る髪結いさん(結髪師)が、減少していたから。

実際、現在でも数人しかいません。

 

               みやび会お千度

              新聞社配信写真より〜

 

夏場には、祇園祭のお接待や花笠巡行の他に重要な行事があります。

その一つが、みやび会のお千度。

みやび会は、京舞井上流の門下生の集まり。7月上旬吉日、5世井上八千代を中心に、

八坂神社へ芸の上達とみやび会の発展を祈り、参拝するのです。

門下生と関係者100名ほどは、毎年絵柄の異なる浴衣(今年はひょうたんですね)

芸・舞妓は浴衣であれど、太鼓結に帯締めをキチンと結びます。なお結髪は舞妓。

結髪でないのは洋髪と呼び、彼女たちは芸妓です。

帯は、新人舞妓=赤、年長=ピンク、芸妓はその他の色と変化します。

 

           八朔

      新聞社配信写真より

 

まず、舞妓のオコボの鼻緒と裾よけは赤く、芸妓のそれらは薄桜色ですね。

 

また、裾を左手で持ち上げています。これが左褄。

芸妓になることを、左褄を取るとも言います。

右前の着物は、右褄だと裾に手が入れやすいので遊女は右褄。

左褄なら裾を防ぐことになるので、左褄を取るとは、

むやみに肌を許さない。私は遊女ではない、という意思表示なのです。

 

もう一つの夏場の重要な行事が八朔。

8月1日。お世話になっているお茶屋、芸師匠に挨拶をしてまわること。

朔は1日のこと。旧暦田の実節のことで、五穀豊穣を祈りその時に、

田の実=頼みなので稲穂を恩人に送っていたとか。それがお中元となったのですね。

八朔には、黒の絽五つ紋付きの正装。舞妓は奴島田、芸妓は島田に結います。

真夏に黒紋付なのに・・・あくまで涼しげに装うのが芸舞妓の粋と意地でしょう。

 

 

                     続く

 

 

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM