フランス租界-3 ・復興中路周辺

  • 2020.07.04 Saturday
  • 07:50

 

復興中路沿いに、家人の実家があります。

この道路は、フランス租界を貫く8キロの幹線道。

租界時代は、ラファイエット将軍にちなんで、ラファイエット・ロードと呼ばれていました。

将軍は、フランス革命を指導し、人権宣言を起草したフランスの英雄。

名前通り、復興道路沿いには、有名史跡・老房子(古い建物)が集中しています。

 

             克来門公寓(1929年造・clements/apartments)

 

外国人用ホテルとして建造されたマンション。カフェ・ダンスホール・プールをも備え、

当時としては最先端のモダン建築でした。ここの一室が義母の家(つまり家人の実家ですね〜)

 

その隣が、↓ 下記のマンション。庭付き・プール付き。

 

             黒石公寓(1924年造、blackstone/apartment)

 

いずれも上海市の代表的な洋老房(洋風旧宅)として文化財。

なので、映画・テレビのロケによく使用されます。

 

                  上海音楽ホール

 

義母家の真向かいにあるのが、

磯崎新、豊田泰久が共同設計した、上海音楽学院付属・音楽ホール。

義母家より徒歩5分の地に、上海音楽学院があるのですが、

かの谷村新司もここで教えていました。

 

             東正教別堂(聖母大堂、1938年造)

           在海白系ロシア人が、募金を募って建設

 

1930年代、在海外国人が2万人の時、ロシア人は1万人もいました。

その理由はロシア革命(1917年)

赤軍の勝利により、共産政治を嫌う白系ロシア人の富裕者は欧米へ亡命。

そうでない階層は大連や上海へ。

また、ナチス迫害を逃れた東欧系ユダヤ人も来海。復興中路周辺に住み着きます。

彼らは元来音楽・バレエの素養があり、特に心得がある者は音楽関係へ。

そうして1922年には、ロシア人団員による極東一の公部局交響楽団が設立。

それを元に1929年、蔡元倍を学長とする上海音楽学院が設立されたのです。

 

               紅房子・西洋レストラン

 

西洋的なものが全て否定された文革時でも、このフランス・ロシア料理店は存続しました。

名物料理はエスカルゴですが、カタツムリではなくハマグリを代用。

 

低階層のロシア人たちはこの地で、コック・女中、洋服・鍛冶などの職人をします。

租界の欧米仏白人たちは、雇用者・使用人にも中国人ではなく白人を重用したからです。

また、中国全土に割拠した軍閥は、上海の亡命白系ロシア軍人部隊を丸ごと雇い入れ、

そうやってのし上がった代表者が、張作霖なのでした。

 

ところで。上海庶民にとっての西洋料理は、フランスではなくロシア料理でした。

現在でも代表的な上海家庭料理として、羅宋湯(or 紅菜湯)=ボルシチがあります。

ビーツ(赤かぶ)の代用に人参、味付けはケチャップを使用したもの。

また、上海サラダはポテトサラダのことで、

文革の最中でも、上海の主婦は密かにマヨネーズを手作りしていたのでした。

なお、カツレツも上海発祥です。

 

                  復興公園

 

復興公園は、義和団の乱が勃発した1900年にフランス軍の駐屯地として開設され、

9年後には公園となり、租界のフランス人の憩いの場となります(ただし、中国人の入園は禁止)

そういう経緯で、この周辺には高級住宅が多く建造されたのです。

 

現在の復興公演では、中高年のダンス会が盛ん。

租界があった上海ゆえ、欧米流の伝統が浸透しているのですねえ〜

 

           国際礼拝堂(1925年造)

 

国際礼拝堂は基督教=プロテスタントで欧米、フランスは天主教(カトリック)ですね〜〜

 

          聖ピータース教会

          復興中路の教区教会。

 

義父はここの唱歌隊に所属していて、彼の追悼ミサはここで行いました。

そして、この教会に隣接しているのが、カトリック系のサンマリー病院。

現・交通大学附属病院(旧上海医大瑞金病院)

 

             サン・マリー病院(1907年造)

 

現在は寄生虫研究所になっていますが、以前はパスツール研究所。

仏租界政府肝煎りの病院なので、パスツールと関係深いのですね〜

ここで牛乳の低体温殺菌法が考案されたので、喫茶の伝統深い中国なのに、

上海では、家庭に牛乳(とコーヒー)を飲む習慣が広まったのです。

→ 家人によると文革の最中でも、牛乳とコーヒー豆は販売されていたそうな〜〜

 

                 里弄石庫門住宅

 

里弄石庫門住宅は、上海独特の西中折衷式アパートで、2~3階建。中流家庭の住居。

太平天国の乱により上海に押し寄せた難民対策として、租界政府が建築したもの。

アパートの最小単位が<里>で大きくなると<坊>

<弄>は路地のことで、北京の胡同に当たります。

 

        日本に留学経験のある郁達夫(1896~1945)が住む。

 

             准海坊=旧霞飛坊(1924年造)

 

この公寓は新式石庫門で、銀行・幼稚園・図書館までありました。

ここに巴金(1904~2005)や、魯迅の妻=許広平・・が住まいました。

 

                  花園式住宅

 

上流家庭は、花園(庭)のある、一戸建てに住みました。

フランス租界はこの花園住宅が多く、可愛い住居を見ながらプラタナス並木下の散歩は楽しく、

しかも最近は、この老洋房を利用したおしゃれなお店や喫茶店もいっぱい。

特に洋館の喫茶店は私を惹きつけ、30分歩いてはお茶する始末で、

茶活(笑)は、私に活力を与えてくれるもので〜〜す。

 

 

地方の観光客も、ここは憧れのおシャレスポット。現在では地元にもおしゃれ地はあるけれど、

やはり上海だからこそ、価値があるのですよねえ〜

 

初上海は35年前。文革で荒れたてた租界地で見た光景に、最も驚いたことは電柱。

それらの電柱は三角あり四角あり。そして電圧は220ボルト地区もあれば110ボルト地区もある。

日本の電圧は110ボルトだし、電柱とは丸いものやし・・・

世界中日本のように統一されているもの、と思い込んでいた。

それまで、同国内で電圧が軌道が異なる。まして言語が民族が異なる国の方が多くのだ、

ということを書物では知っていても、<文化>ということをこの時初めて心底に実感したのです。

それは日本においても同じ。見ようとすれば知ろうとすれば、

いつでも発見や感動はあるものですね。最近しみじみと思います。

 

                恩派公寓(1931年造)

 

                愛基公寓(1920年)

 

 

                         続く

 

 

 

 

 

 

 

 

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