仁丹看板で見る京都-島原・武信稲荷

  • 2019.09.13 Friday
  • 10:58

                                                          島原・大門

 

我が国初の官許花街であった島原。大門は1867年建築。

名妓吉野太夫や、新撰組隊士が馴染んだことで有名です。

 

 

実は島原というのは通称で、正式な地名は西新屋敷。

東西195m南北242m面積47m2の、こじんまりした町。

島原遊郭は1589年、秀吉の許可を得て二条に開設したことに始まるも、

現在地に移転する騒動が<島原の乱>のようだ、ということで島原と呼ばれるようになったとか。

島原の客は公家・武家が対象。全盛期には置屋が50軒、揚屋が20軒と栄えるも、

幕府消滅、東京遷都により廃れ、でも1977年まで花街として営業していました。

 

                   輪違屋

 

島原で唯一現存する置屋の輪違屋、揚屋である角屋。

置屋は芸妓・太夫を抱え、揚屋は料亭になります。

江戸・吉原は娼妓丸抱えの揚屋が主で、島原は置屋・揚屋の分業体制=送り込み制が特徴。

 

                    角屋

現在、おもてなし美術館として、一般公開してま〜〜す。

 

       江戸・花魁                   島原・太夫

 

傾城(遊女)の最高位を、吉原では花魁、島原では太夫と称します。

見た目、花魁と太夫の帯結び(心結び)が違いますね。

どちらも歌舞音曲、花道・茶道・和歌・俳諧に秀でるのは当然ですが、

太夫は正五位,10万石の大名に匹敵し、御所の出入りも可能でした。

また、島原は芸事を重んじるので、祇園・上七軒のように歌舞練場がありました。

そして、吉原は堀で囲まれて出入りが制限され、ゆえに逃亡の為の放火ばかり。

対して島原は、江戸期には堀が取り払われ、老若男女の出入り自由。

なので360年間、失火は1度あったものの、放火が1度もなかったのです。

 

現在、輪違屋では3人の太夫を抱え、京都観光のピーアールに勤めてるようです。

 

 

                   壬生(みぶ)寺

 

991年、三井寺の快賢上人により開山された律宗大本山で、本尊は延命地蔵尊。

境内で年3回上演される<壬生狂言>で有名。

唐招提寺の高僧である円覚上人は、浄土宗系の融通念佛を布教する為に、

壬生寺で、その教えを身振り手振りで説いたのが壬生大念仏大狂言(壬生狂言)

お囃子にのせて仮面での無言劇は、カンデンデンの愛称が。

演者は、地元民で構成された念仏講の人たち。

→ などと偉そうに書いてるけれど、見たこと一度もありまへん。

 見たい〜〜とは思うけど、めっちゃ満席なので、ま、今後も見られないでしょう・笑

 

また、新選組が訓練道場としたこともあり、芹沢鴨などの隊士の墓もあります。

 

                 清宗根付館

 

壬生寺の向かいにありま〜〜す。

4500点の根付のコレクションがあり、常時400点ほどを展示。

建物は、1820年建築の壬生・郷士であった旧神先家(重文)

 

                   八木邸

                新選組の屯所

 

1863年、徳川14代将軍の上洛にあたり、その警護と京都の治安維持の為に、

浪士組230余名が壬生に入るも、

責任者=清河八郎と芹沢鴨・近藤勇ら20人余と意見を相違により分裂。

近藤らは、京都守護職松平容保の預かりとなり、ここに新選組の誕生となりました。

彼らの宿泊所が、郷士・八木源之丞邸。

ところが、芹沢鴨の素行が悪く、新選組独自の厳罰な掟=局中法度に基づき、

芹沢は土方歳三・沖田総司の手により、殺害されます。

八木邸は、今でもその時の刀傷が残っており、公開しています。

 

大河ドラマの新選組!も、面白しろかったけれど、私の新選組ドラマは<燃えよ剣>

土方が栗塚旭、沖田が島田順司やった。→ 随分前の作品やし、みなさん、知らんやろうなあ〜〜

ところがですね、

岡田准一が土方役をする映画<燃えよ剣>が、来年公開するそうな。

近藤勇役は鈴木亮平。総司役は山田涼介。知らん。

調べたら、hey sey jump 。もっと知らんけど、ま、ジャニーズどす。

 

なお、八木邸横にある和菓子店<鶴屋鶴寿庵>は、八木家が経営。

15代当主が和菓子職人で、新選組にちなんだ菓子を生産販売しています。

なので、八木邸参観チケットと鶴寿庵の和菓子がセットなんどすぇ〜〜

 

でも・・・新選組はやはり人斬り集団。それに京都は勤皇のお膝元やもん。 

だから、時代祭にも参加させてもらえない残念な集団やった、ということですね〜〜

 

              元祇園・梛(なぎ)神社

 

869年、播磨国より牛頭天王を勧進し、八坂の地へ御霊をお移しする際

壬生・梛の森に分霊をお祀りしたのが謂れで、なので元祇園と呼ばれてます。

また、梛の人々が風流鉾で神輿を送り、これが傘鉾の始まりとなったとか〜

 

* ここの御朱印がステキなんどすぇ。

 

 

 

壬生は水生・・・のように湿地帯で、為に壬生菜が育つのですが、

洛中から見れば、随分と田舎の地になるわけですね。

なのに、壬生御所ノ内・・・って、壬生はだいぶ御所から遠いのやけど、

少しでも内裏の近くになって、うちらはほんまの京都人やで〜〜という

ここの住民の声が聞こえてきそう・・・

 

 

変な人が写ってるで〜〜と思ったら私やった・笑

 

この小さな博物館の入り口上に貼ってあったのが、倒春。 中国通やな・・・

 

 

                  六角獄社跡

 

平安京の左獄に始まる監獄ですが、蛤御門の変(1864年)の渦中で、

まだ未決囚であった古高俊太郎、平野国臣ら、勤皇の志士30数人を処刑した悲劇がありました。

古高は新選組により捕らわれ、酷い拷問により長州藩による孝明帝拉致計画を自白させられ、

新選組の張り込みにより、吉田稔麿・宮部鼎蔵が殺害される(池田屋事件)のでした。

国臣は福岡脱藩浪士で、西郷隆盛や、新選組を起こした清河八郎らと親交があった人物。

 

また1754年には、山脇東洋が杉田玄白よりも17年も早く、

囚人の遺体で、人体解剖を行った地なので、いわば近代医学発祥です。

 

                  武信稲荷

 

獄舎跡から徒歩1分で、武信(たけのぶ)稲荷が。859年藤原良相(よしすけ)により創祀。

 

坂本龍馬の妻お龍の父=楢崎将作は勤皇医者。為に六角獄舎に囚われ、

この神社から、龍馬夫妻は父の様子を伺った説が。

また、幕府に追われる龍馬が、境内にある榎に龍の字を彫り、お龍に無事を知らせたとか。

それから〜

この神社は、一寸法師にゆかりがあります。

 

                境内に、神様集合

 

童謡・一寸法師の2番の歌詞は

<京は三条の大臣殿に、抱えられたる一寸法師・・・>

その三条の大臣殿が藤原良相のことで、神社は藤原氏の学問所の跡なのです。

 

一寸法師は、御伽草子に書かれてある話。

子供のない老夫婦が、住吉大社に祈願してできたのが一寸法師。桃太郎と似てるよね〜〜

 

桃太郎に一寸法師、浦島太郎に金太郎、牛若丸に花咲爺さん

絵本ではなく、童謡を歌って昔話を覚えた。今は、スマホのCMで覚えるんやろうな〜〜

 

                 今日のランチ

 

           小さいけれど、ご利益大な福神社

      

                               <一寸法師>

 

指に足りない一寸法師 小さな体に大きな望み 

           お椀の船に箸の櫂京へはるばる上りゆく

 

京は三条の大臣殿に 抱えられたる一寸法師 

          法師法師とお気入り 姫のお供で清水へ

 

さても帰りの清水寺に 鬼が一匹現われ出でて 

           食ってかかればその口へ 法師たちまち踊り込む

 

針の刀を逆手に持って チクリチクリと腹つけば 

           鬼は法師を吐き出して 一生懸命逃げていく

 

鬼の忘れた打出の小槌 打てば不思議や一寸法師 

           一打ちごとに背が伸びて 今は立派な大男

 

 

 

 

 

 

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